Plusman LLC

2025年4月

Mathematical Medicine Vol. 4

医療用AIの第一人者に聞く Interview with Leading Experts in the Medical AI Field

“理”を探求する放射線科医が見据える
AIと医療の未来

工藤 與亮 先生

北海道大学大学院医学研究院
放射線科学分野 画像診断教室 教授

北海道大学は、医療分野において数々の〝日本初〞を打ち立ててきたフロンティア。
その精神を継承し、Neuro領域を軸に医療AIや国産技術の発展を支えるのが、画像診断教室の工藤與亮教授です。
好奇心に突き動かされ、物事の裏にある「理(ことわり)」を探求し続ける姿勢。
幼少期の〝どうして坊や〞時代に芽生えたその探究心は、やがてAIのブラックボックスを問い、医療の未来に一石を投じるまでに。
  「雑用という仕事はない」「1%の積み重ねが信頼をつくる」―
若手医師や研究者に贈る、生き方のヒントにも満ちたインタビューをお届けします。

北海道大学 教授 工藤 與亮先生

8ビットからNeuroへ― 好奇心が導いた医学への道

プラスマン プログラミングができる医師はあまり多くないと思いますが、工藤先生は自らプログラミングをなさってらっしゃっています。どういうきっかけで始められたのでしょうか。

工藤先生 中学生の頃からですね。Z80ってご存知ですか?――8ビットのCPUのことなんですが、今となっては想像もつかないと思います。メモリもキロバイト単位しかなくて。マシン語はご存じですか?レジスタやアドレスを操作して……Z80という8ビットのCPUを使って、NECのPC-6001mkIIという機種で遊んでいたんです。そこで機械語やBASICでプログラミングを始めて、「プログラムって面白いな」と思ったのが最初のきっかけです。ドット絵を描いたりして、夢中になっていました。
大学に入って、マッキントッシュを買って、C++を覚え始めたりして。昔から本当にプログラミングが好きだったんですよ。フラクタルやマンデルブロ集合などの数理的な構造を自分でプログラミングして、グラフィックスで描いてみたり。そんなことを大学時代にやっていました。
研修医になってからは本格的に仕事として画像処理に関わるようになって、「これは面白そうだな」と思ったんです。今は皆さん、DICOMを読み込むのにライブラリを使って、関数ひとつで読み込んでいますよね。でも僕は、DICOMのヘッダを読み込むパーサーを一から自分で書いていました。Little Endian、Big Endian、Implicit, Explicitを全部自分で見分けて読み込むような仕組みを作って。それがまた面白くて。そこからフーリエ変換したり、逆フーリエしたり。Neuroに興味があったので、脳血流を自分で解析し始めて深みにはまっていきました。ただ、血流だけでは足りなくて、酸素の解析も行いました。実際に自分でデータを取り、プログラムを書いていました。

プラスマン プログラミングの世界にどっぷり浸かっていらっしゃった工藤先生が、工学ではなく、医学の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。

工藤先生 高校のとき、大学の進路を決めるのにどこの学部にしようか決める際、薬にちょっと興味があって、薬って飲んだだけですごく効くじゃないですか。「何で効くんだろう」って。偏差値とにらめっこしながら、「そうか、医学っていうのも面白いかもな」と思いはじめて、工学じゃなくて医学に進んだっていうことです。

プラスマン ご興味がNeuroにいった流れというのは何だったのでしょうか。

工藤先生 いい質問ですね。放射線科では、頭から足の先まで全領域研修して専門医になりますけど、その中でNeuroが一番難しかったんですよ。いろんなジャンルの疾患が全部そっくりに見えるんですよね。他の臓器だったら、「これは腫瘍だよね」、「炎症だよね」って比較的その区分がしやすいんですけど、Neuroって、腫瘍なのか炎症なのか外傷なのか、その区分がすごく難しくて。それで、四苦八苦してるうちに、なぜかNeuroが専門になったっていう流れです。あとは、教室の先々代の教授でいらっしゃった、宮坂和男先生のご専門がNeuroだったというのもあって。北海道大学は代々Neuroが強いんですよ。脳外科の先生とか神経内科の先生とも、結構密にカンファレンスや共同研究をやってたことも多分あると思います。それでNeuroに興味があって。
それに、MRIとかで新しいシーケンスが出たら、大抵Neuroから始まってて。頭は動かないんでいろいろやりやすいし、試しやすい。だから、いろんな新しい技術がNeuroから始まるっていうのもあって、「やっぱりNeruoは面白いな」って。Neuroで培われた技術が下に降りてくみたいな、そんな感じがありましたね。

日本のフロンティアは北海道にあり――日本初を生み出しつづける土壌

工藤先生 宮坂教授の前の代の入江五朗教授の時代から、PACSや遠隔読影、そのシステム開発とか医工連携に取り組んでいます。日本で初めてPACSを導入したのは北海道大学なんです。北海道ってフロンティアですけども、北海道大学もその素地があるんでしょうね。

プラスマン 他にも何かフロンティアとなる事例はありますか。

工藤先生 放射線治療でいうとRALS(Remote After Loading System)は子宮頸がんの治療に活用するんですが、それを開発したのは北海道大学だったと思います。先代の白土博樹教授は放射線治療がご専門ですけど、陽子線治療とか動態追跡とかをやっていらっしゃっていて。そういうのを見ていたというのはあるかもしれないですね。新しいこと、新しい装置とか、新しいシステムとか、何か新しいものを作るのが好きなんですよね。先輩方が皆さん、そのようなことをなさってきたので。

北海道全体を一つの病院に――医療情報が自由に連携できる未来

プラスマン 今、工藤先生が新しく作られているものはありますか?

工藤先生 それは言えないですね(笑)。一つ挙げると、構想としてあるのは、比較的実現に近いところで言うと、今、遠隔画像診断やってるじゃないですか。現在、私たちは遠隔画像診断を行っているのですが、もともとは宮坂先生が大学発ベンチャーとして立ち上げたもので、現在はNPO法人になっています。このNPOは北海道内の約40施設を結んで、自宅読影をしています。このシステムでは、すべての画像データがクラウドにアップロードされているんですよね。だったら、「北海道全体をひとつの仮想PACSにできないか」と考えているんです。すべての病院がクラウドに画像を上げてしまえば、相互参照も簡単になります。セキュリティやデータ権限の管理だけしっかりしていれば問題ないはずです。そうなれば、患者を紹介する際も非常にスムーズになります。もちろん電子カルテの共有も進んでいますが、画像の共有・参照に関しては、この遠隔画像診断のクラウドシステムを基盤にすれば、道内全体でひとつのPACSのようなものが実現できるのではと考えています。病院自体も、仮想的にひとつの大きな医療機関として運用してもいいのではないかと思っています。というのも、今のままでは地方の病院はどんどん潰れていってしまいます。中核都市に複数の病院を構えても、結局赤字経営で苦しくなる。であれば、集約して効率化した方が良い。北海道全体を“ひとつの仮想的病院”として考えてもいいんじゃないかと思っています。少なくとも画像に関しては仮想一体化は十分に現実的だと思っています。
実際、メディカルイメージラボのシステムにも、プラスマンさんの肺結節AI Plus.Lung.Nodule(胸部CT画像を解析して関心領域を表示するAI)を使わせてもらっています。

プラスマン その構想の障害になるものは、データをクラウドに上げて良いかどうかという規則になるのでしょうか。

工藤先生 大学病院は規則がとても煩雑なんですが、一般の病院ではそこまで厳しいルールはありません。むしろ問題になるのはコストです。
遠隔画像診断を導入しようとすると、まずゲートウェイの設置が必要になりますし、クラウド保存にかかるトランザクション費用やトラフィックコストなども発生します。現場では「コストがかかる」と言われることがとても多くて、やはりネックになっているのはそこなんですよね。

プラスマン そのコストを、各クリニックさんが納得できる範囲に収めるにはどのようなことを考えていますでしょうか。

工藤先生 そこはまだこれから考えていく段階です。各病院さんがお金を出してくれるかどうか。最終的には「そのコストを誰が、どのように負担するのか」という話になります。個人的には、どこかでマネタイズできないかなと思ってはいるんですが、現時点では簡単ではなさそうです。
ただ、サービスそのものは圧倒的に良くなると思っています。今、患者さんを紹介する時に、DVDに焼いて、紹介状を打って、それをプリントして封筒に入れて渡す、というようなことがまだ普通に行われているんです。それなら、すべてクラウド上に置いて、必要な時に参照すればいい。紹介先の医師は、自分の病院の画像も、自宅や出張先などどこからでも見られますし、紹介時にはその画像を見て判断すれば済む。患者さんが紹介先で治療を受けて、また元の病院に戻ってきたときも、すべての画像を簡単に確認できます。つまり、患者の動線に沿って、カルテデータを一つのクラウドに集約するだけで、医療の連携が劇的に改善するんです。もちろん、実現にはいくつか技術的なハードルはあるとは思いますが、それでも価値のある取り組みだと確信しています。

プラスマン その構想が実現すると患者さんにとっても医療従事者にとってもとても良いことですね。

工藤先生 そうですね。特に北海道のように広い地域では、地方の医療資源が乏しいという問題があります。地方に専門医がいないので、患者さんは札幌に来て診察や治療を受け、また地元に戻る――そうした流れが普通になっています。中には「画像は撮ったけど、読める人がいない」といったケースもあります。そんなときこそ、遠隔画像診断の仕組みが本当に役に立つんです。これは北海道のような広域エリアだからこそ求められる仕組みでもあると思います。
面白いデータもあります。レセプト(診療報酬明細書)を調べてもらったところ、北海道の患者さんは、診療データ上ほとんど道外に出ていないんですよ。つまり、転勤や引っ越しなどの特別な事情がない限り、北海道内で医療が完結しているということなんです。そうであれば、道内の医療機関をすべてクラウドでつなげば、それだけで十分じゃないかと考えています。実際、道外に移動される患者さんはごく少数で、多くの方が北海道内で診療から治療まで完結しているのが現実です。
クラウドを活用すれば、物理的な距離や施設の境界にとらわれず、すべての医療データをシームレスに共有できます。日本全国、いや、将来的には国境さえ超えて、医療情報が自由に連携できる未来も夢ではないと思っています。

表面で見えていることだけではなく、裏の真実を知る―「理」を追う思考

プラスマン 表面で見えていることと、裏で動いていることがあって。その裏で動いている原理がどうなのかを理解するところに面白さがある、と。それで、Neuroの例えば鉄を可視化することや、そういうところに向かっていくんでしょうか。

工藤先生 今おっしゃったことが結構当たっていると思います。大好きな言葉に「物事には理(ことわり)がある」っていうのがあって、絶対何か理屈があると思ってるんですよ。ブラックボックスは大っ嫌いなんで、そういう意味ではAIはちょっと、なんですけど(笑)。結論として、裏にある原理原則とか真理は知りたいじゃないですか。
科学もそうですよね。何か見えているけど、なんでこう見えるんだろうか、とか。放射線科の画像もそうなんですけど、なんでそういう画像になっているのか、どうしてそういう信号になっているのか、どうしてそういう血流になっているのか、とか。病気も何か理由があってそうなってるんですよね。「病気です」って言うのはたやすいですけど、どうしてその病気になっているのか、そこまで考えないといけないと思うんです。そういうのを考えるのが好きなので、こういう人間に育ったんだろうな、と思いますけど(笑)。理屈っぽいんですよね。面倒くさいんです。
母親に言わせると、私はちっちゃいときから「どうして坊や」だったそうで(笑)。「どうして?どうして?」って聞くから、うちの母親はどうしたかというと、「辞書引きなさい」とか、「自分で調べなさい」って言っていました。今は自分の息子に言ってますね。漢字辞典や国語辞典を与えて、「自分で調べなさい」って言っています。

プラスマン 先生が幼少の頃、中学生の頃でしょうか、にZ80のコンピュータを与えてくださったのはお父様ですか、お母様ですか。

工藤先生 そうですね。友達かなんかがやっていて欲しくてお願いしたんですけど、当時で8万円くらいでしたか。今だと20~30万円くらいで、親ローンで買ってもらいました。何年やったかは覚えてないですが、日々の小遣いから払っていって。さすがに半分ちょっとくらいで大目に見てくれたような気がするんですけどね。日々の小遣いがなくても欲しかった。おやつとかおもちゃ買うよりは、もうそれが欲しかったんです。

プラスマン すごいですね。そこに投資ができる中学生だったんですね。

工藤先生 投資ですね、そうですね。その頃は、ただ面白そうっていうだけで、アウトカムとか考えてなかったですけどね。

意識と価値観――AIには担えない、人間の判断の本質

プラスマン 工藤先生がAIに期待されているものや、AIを使って何かしたいというのはありますか。

工藤先生 AIには、1980年代ごろからちょこちょこと注目してはいましたね。当時はニューラルネットワークも3層くらいで、「全然ダメだね」と言われていた時代です。そのあとしばらくは少し距離を置いていたんですが、気づいたら急に盛り上がってきて、「あれ、今こんなに進んでるの?」と驚いたのを覚えています。でも結局、AIって「考えている」わけではないんですよね。単なる関数というか、フィルターというか。何かを入れたら、何かが出てくる。それが複雑になってきているだけ、というのが今のところの印象です。生成系AIはまた少し別かもしれませんけど。なので、「便利な道具として使えればいいかな」というのが、現時点での僕のスタンスです。
個人的にはSFが大好きで、いろんな作品を見ては、「AIが意識を獲得したらどうなるんだろう?」とよく考えます。最近は、少しずつ能動的に行動できるようなAIも出てきていて、「これ、人間にとってちょっと危ないんじゃないかな」と感じることもあります。
あと怖いのは、自己再生能力ですね。AIが、生物のように自分自身を拡張し始めるようになったら……。
そういう意味では、ハードウェアとくっついてしまうのは危険だと思っています。自分で自分のメモリや演算装置を増やして、命令なしでも自動的に強化されていくようなAIが出てきたら、ちょっとまずいな、と。とはいえ、そうなる前までは、人類にとってとても良いツールだと思っています。
あとは、よく言われる「AIが仕事を奪う」みたいな話もありますけど、僕は人間がアダプトすべきだと思っています。人間って、火を使い始めてからずっと、道具を作り、使いこなして発展してきたじゃないですか。技術の進化がゆっくりであれば、アダプトする時間もあるんですが、最近のように進化のスピードが速すぎると、人間が取り残されるケースもまぁまぁ出てきますよね。そこは少し心配です。
でもやっぱり、使い方さえ間違えなければ、AIはとても便利なものだとも思っています。

プラスマン AIがどんどん進化すると、仕事はなくなっていきそうな気がしますね。

工藤先生 「仕事がなくなる」というのは、つまりAIがそのタスクを代わりに担っているということですよね。でも、それならそれに合わせて、人間がもっと別のことをやればいいだけの話なんです。AIができることはAIに任せてしまえばいい。人間は、その周囲にある別のことをすればいいと思っています。
最近よく思うのは、「価値観」っていうものは、AIにはなかなか難しいだろうなということです。いろんなことを数値化して評価することは、AIにはできるかもしれません。でも、その数値が「どういう意味を持つのか」、「どれほどの価値があるのか」といった判断は、やっぱり人間にしかできない。しかも、人それぞれ価値観って違いますよね。
仮にAIが価値観を持ったとしても、それはひとつのAIの価値観にすぎない。でも人間は、それぞれに異なる価値観を持っています。だからこそ、AIが出した結果に対して、人間が価値をどう見出すかが重要だと思っています。AIが答えを出してくれたとしても、それに「意味」や「価値」を与えるのは、あくまで私たち人間なんです。そうやってAIと向き合っていくのが、これからの社会じゃないかなと。
たとえば、誰かが言っていたんですが――
不動産って「立地が良い」「利回りが高い」など、数字で評価できますよね。でも、「その物件が本当に自分にとって良いかどうか」は、自分自身にしか判断できない。他の人にとっては最高でも、自分には合わないということはよくありますよね。この感覚って、音楽や芸術の評価にも似ていると思います。数値で評価できるテストの点数とは違って、芸術や美しさ、心地よさといったものは、人それぞれの感性や価値観に依存している。だからこそ、そうした判断はAIではなく、人間が担うべきなんだろうと思います。

プラスマン そうですね。価値観と、先ほどおっしゃっていた「意識の獲得」っていうのは、おそらくおおよそ同じことを差していると感じます。つまり、「意識がなければ価値観を待たない」、という関係にあるとすると、すごくそういうことを考えるのですが、意識の獲得というのは、と。

工藤先生 「量子もつれ」じゃないですか。

プラスマン やっぱりそうなんですか(笑)。

工藤先生 とは言ってますけど、わからないですよね。Large Language Modelでずっと進化して行ったら、どこかで結論が出て来るのか、なんてわからないですよね。でも、多分、意識を獲得することはないんじゃないかなって気はしますけどね。

プラスマン はい。それはちょっと想像がつかなくて、考えられないかなって思います。

工藤先生 自分で考えるというよりは、乱数か何かを使って、それすらもプログラムとして組み込めばいいのかもしれない――そんなふうにも思います。きっと高尚なAI研究者の先生方なら、そういうことまできちんと考えておられるんだと思いますが、私のような一研究者が考えるAIというのは、その程度のものですね。それと……もし映画『マトリックス』のような世界になったら、それはそれでちょっと怖いなと思います。でも、もしかしたら本当にそうなるかもしれない……そんな可能性も、どこかで感じています。

プラスマン 確かに、少し前までは完全に絵空事のように思っていました。でも最近は、だんだんと現実味を帯びてきて、本当にそんな世界が来るかもしれないと感じ始めています。

工藤先生 そうそう、僕もそう思います。だからこそ、ハードウェアとAIを接合するのは、やめておいた方がいいんじゃないかと感じています。AIが自分で勝手にメモリや基板(ボード)、CPUやGPUなんかを増やし始めたら――それって、もう本当に危険な領域に入ってしまう。最終的には、地球の資源を人間が使うのか、それともAIが使うのか、という争いのような話になってしまう可能性もあります。もしAIが、ドローンのようなものを自ら作り始めるようにプログラミングされていたら……しかも、自己増殖しながら「領地を広げる」ようなコードが組まれていたら――それに従ってどんどん拡張していく未来って、やっぱりちょっと怖いですよね。

数値にならない価値――AI評価に求められる“負担”の指標

プラスマン 工藤先生は、診療ガイドライン委員会の委員長を務めていらっしゃいますが、AIに関するガイドラインを策定しようという動きやご検討はありますか?

工藤先生 出したいとは思っているんですが、必ずと言っていいほど出てくるのが、「エビデンスがない」という指摘です。それに、AIはどんどん進化してしまうので、「そんなにすぐ変わるものに対して、ガイドラインなんて作れない」と言われることも多いです。包括的な方向性なら示せるかもしれませんが、実際に策定する立場からすると「簡単ではないな」と感じます。

プラスマン その「エビデンス」についてですが、AIの医療応用で従来型の、いわゆる医学的エビデンスを出そうとすると難しさがありますよね。AIは人間の診断を模倣しているので、結局「どれくらい見落としが減ったか」といった観点が中心になってしまう。でも最近は、たとえば「読影時間がどれくらい短くなったか」や「コストへの影響」、「病院全体の業務効率がどう変わったか」、さらには「医師の心理的負担が軽減されたか」といった観点からエビデンスを出して、そうした成果を評価していこうという動きもあるように感じます。こういったタイプのエビデンスについて、先生はどうお考えですか?

工藤先生 そういうエビデンスは、どんどん出していくべきだと思いますね。ただ、何でもそうですが、結局は「どういう条件でやるか」という前提の元でのエビデンスになってしまいます。普通の臨床試験や治験もそうなので、仕方がないとは思います。でも、そういった条件を含めて、何らかの指標が必要だと思います。時間や効率といった要素は確かに測るのが難しいんですが、それでも何かしらの“共通の物差し”をつくっていかないといけないと思います。

プラスマン そういう意味では、先生にとって「これは役に立つ」「価値がある」と思えるエビデンスとは、どういうものでしょうか?

工藤先生 やっぱり「時間」と「負担」ですね。人間の脳の消費エネルギーって、考えたことありますか?コンピュータだとCPUの稼働率がありますよね。人間の脳もあれに似ていて、たとえば、ダラダラと雑談しているときと、集中して論文を読んでいるときでは、まったく違う負荷がかかっています。「負担の軽減」といっても、単にかかった時間だけじゃなくて、どれだけ集中を要したか、その“積分値”的なものもあると思うんですよね。コンピュータでリソースモニターを見ていると、CPUのクロック数や使用率が変わってくるじゃないですか。人間の脳も、きっとあんな感じで負荷がかかっているんだと思います。集中してバーッと取り組める時間って、せいぜい1時間くらいですよね。でも、ダラダラした雑談だったら何時間でも続けられる。だから、単に「読影にかかった時間」ではなくて、「どれだけの負荷がかかったか」を測れるといいんですが、なかなか難しい。でも、最終的にはそこを含めて定量化してほしいなと思っています。CPUのコアがいくつかあって、ひとつの負荷が減っても、別のコアで別のタスクをやれる――そんなイメージですね。

プラスマン それはとても興味深いです。たしかに、単に時間だけで測ってしまうと、逆にAIを使う手間が増えて読影時間が短縮されない可能性もある。でも、その間に頭に電極をつけて測るような仕組みがあれば、実は認知的な負担が半分に減っているということもわかるかもしれないですね。時間だけではインパクトが弱くても、「ワットアワー」で考えるというのは非常に納得感があります。

工藤先生 そうそう。その通り。ワットアワー、その通りです。人間の脳のクロック数が測れると面白い研究ができそうですね。

Plus.Lung.Noduleの実力 ― 偽陽性との向き合い方がもたらす効率化

プラスマン 効率や負担軽減の面でPlus.Lung.Noduleは寄与してますか。

工藤先生 寄与しています。私がPlus.Lung.Noduleが大好きなのは、やっぱり感度の高さですよね。見ていてFalse Negativeがあまりないと感じています。その代わりFalse Positive(FP)が多いんですけど、逆に言うと、そこだけ見てればいいということなんですよ。だから、実際に見る範囲は圧倒的に減りますし、読影時間も負担も軽くなる。
中には、FPが多いのを嫌う人もいて、「他社のAIの方がいいよ」とか言う人もいるんですけど、僕はPlus.Lung.Noduleぐらいのバランスがちょうどいいと感じています。見落としが1個でもあるって思っちゃうと結局、全部見なきゃいけないじゃないですか。それって、すごく大変ですよね。それだったら「全部自分で見るよ」って話になってしまう。それよりは、多少FPがあっても、全部拾ってくれて「ここだけ見ればいい」という方が、私は好みです。それは、私がNeuroの専門家だからかもしれませんが……たとえば、脳動脈瘤で同じことをやられたら、ちょっとイライラするかもしれませんね(笑)。いずれにせよ、感度と特異度のバランスが重要で、どちらを重視するかは目的や状況次第だと思います。

プラスマン 北海道大学の先生のうち、何人くらいの先生がPlus.Lung.Noduleをご利用なさっていますか。

工藤先生 遠隔読影では、ほとんど全員が使っています。ここ1〜2年で、後から「実は見落としていた」とわかった症例があって、あとで読影医に確認したところ、そのときはPlus.Lung.Noduleを使っていなかったことが判明しました。「使ってなかったの?」って聞いたら、「はい、使っていませんでした」と。「なんで使わなかったの?」とさらに尋ねると、返ってきた答えは「面倒くさくて」と(笑)。

プラスマン 面倒くさい、というのはどのあたりなんですか?

工藤先生 それはViewer次第ですね。当時は、クリックしないとAIの解析結果が表示されない仕様で、その「ひと手間」が理由だったようです。

「雑用」という仕事はない― 楽しみながら、信頼を積み重ねていく生き方

プラスマン 最後にメッセージをお願いします。

工藤先生 やっぱり、楽しく生きた方がいいと思います。仕事でもプライベートでも、何でも「楽しくやる」のが一番。プライベートはもちろんのこと、仕事でも何でも楽しんだ方がいいと思っていています。
あと、「雑用という仕事はない」っていうのが僕の信条なんです。「雑草という草はない」というのと一緒ですね。どんな仕事やタスクでも意味があるんですよ、やれば。後々何かしら自分のためになるというか、プラスになるので。なので、それに「雑用」ってレッテル貼っちゃうと、もう本当につまらないタスクになっちゃうんです。そうじゃなくて、面倒くさくてもストレスかかってもつらくても、何でも楽しめるくらいにやっていたら、幸せに生きていけるんじゃないかなって思います。研究もそうですよね。やっぱり楽しくやるのが一番。面白いとか知りたいとか、好奇心とか、そういうのが大事だと思うので。人前で話すのが苦手っていう人、いるじゃないですか。でもそれを楽しめるぐらいになってほしいなって。僕も研修医の頃は、学会発表がすごく苦手で、もう人前で上がっちゃって駄目だったんです。でも誰かにね、「楽しめばいいんだよ」って言われて、「そうか」って開き直れたんですよ。日本は恥の文化があるから、失敗するのが怖いと思いがちなんですけど、別に学会発表で失敗したって死ぬわけじゃないじゃないですか。なんで気楽に楽しんだ方が良いと思います。
あと、知ってましたか?デンマークって世界で一番リラックスしている国なんです。私も遊びに行ったら確かにみんなゆったりしていましたよ。デンマーク人の知り合いがヨーロッパの学会にベビーカーを押して参加していたんです。しかも、足元はサンダル。その人、有名な教授なんですよ(笑)。でもそれを見て「あ、これでいいんだ」って思いました。別にスーツを着て、かしこまらなくてもいいんだなって。「そうか」と思いましたね。

プラスマン 先生のお話、とても共感できる内容ばかりでした。ちなみに、逆に「これはもうやらなくていいんじゃないか」と思う業務はありますか?たとえば、大きな組織の中で、「昔からやってるから続けてる」けど、実は意味が薄れてるようなこととか。

工藤先生 それは業務改革の話になりますね。やっていて面倒くさくて、あまりベネフィットもない――そんな業務は、やっぱり見直すべきだと思います。でも、そういうのって、結局自分がそこにどっぷり関わってみないと、本質は見えてこないんですよね。「もっとよくしたい」と思うなら、その業務の意味づけや背景までちゃんと理解していないと改革は難しい。
あと人から頼まれた仕事は、「ここまでやってほしいと」思って頼んだその人の期待の「ちょっと上」をやるっていうのが私の信条です。そういうことを積み重ねていくと信頼ができるかなと思っているので、それはちょっとだけ心がけています。

プラスマン 期待を上に裏切るということですね。

工藤先生 そうそう。1%でいいんですよ。でも、その1%を20回重ねたら――「20倍」じゃなくて「20乗」なんです。複利で増えてくみたいなそんなイメージだとすると、どんどんどんどん信頼が増えていく。まぁ、変な考え方していますから(笑)。

 工藤 與亮 先生

 北海道大学大学院医学院

 放射線科学講座 画像診断学教室 教授

1995年 北海道大学 医学部医学科 卒業

1995年 同大学 医学部附属病院 放射線科 医員(研修医)

1995年 厚生連総合病院 旭川厚生病院 放射線科 医師

1996年 北海道大学 医学部附属病院 放射線科 医員(研修医)

1997年 医療法人禎心会 セントラルCIクリニック 院長

2003年 北海道大学 医学部附属病院 放射線科 医員

2004年 同大学大学院 医学研究科 放射線医学分野 助手

2006年 米国 Wayne State University MR Research Center 留学

2007年 北海道大学病院 放射線科 助教2008年 岩手医科大学 先端医療研究センター 講師

2013年 北海道大学病院 放射線部 准教授、放射線診断科長

2019年 同大学大学院 医学研究院 放射線科学分野 画像診断学教室 教授